最高裁判所第三小法廷 平成2年(オ)184号 判決 1990年6月05日
上告人(反訴原告)
野田つね子
被上告人(反訴被告)
西部タクシー株式会社
被上告人(本訴原告)
佐藤龍
ほか一名
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人石田享の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 貞家克己 坂上壽夫 園部逸夫 佐藤庄市郎)
上告代理人石田享の上告理由
第一点 現判決には原裁判所(以下二審という)においてなされた二つの医学鑑定(整形外科及び眼科)を無視、曲解した採証法則・経験法則違背の違法があり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄されなければならない。
一 一件記録から明らかなとおり上告人の傷害は原判決判示の先行交通事故と本件交通事故(一)及び(二)という三つの交通事故が複合されて生じ継続しているものである。すなわち先行交通事故の治療中に本件交通事故(一)が生じ、またそれらの治療中に本件交通事故(二)が発生した。これが本件被害の特徴である。
従つて本件交通事故(一)及び(二)による受傷と治療とは個別的な事故観察のみで認識しうるものではなく、経験則上、身体の症状については身体状況に即して関連的に、一体的に観察されなければならない。このことはまた二審における二つの鑑定内容をみても明らかである。
二 ところで、二審において多大の時間を要してなされた貴重な二鑑定のうち、最も重要と考えられる整形外科黒沢尚鑑定書(以下単に黒沢鑑定という)は原判決によつて理由も示されずに全く無視され、また眼科新家真鑑定書(以下単に新家鑑定という)は原判決によつて曲解された。
(一) 黒沢鑑定の無視
同鑑定によれば二審証人内山昭司医師の場合「初診から終診までカルテの記載が不充分」であり、治療も内服薬と湿布だけを漫然と続けただけで適切とは言えないものであつた。これに比し一審証人八木久男医師のカルテ記載や治療は適切であり、また「被控訴人の症状が交通事故に基づくもの」という「判断は妥当」であつた。
従つて黒沢鑑定と一審八木久男証言からみて、上告人の症状の継続は三つの事故の複合によるもので、その比率ないし関与の度合いは定量的にはできないものであるが、先行交通事故と本件交通事故(一)、(二)が複合していることは定性的に判然としているものであつた。
つまり黒沢鑑定は一審判決の当該判示部分(一審判決一四丁)と同旨の鑑定内容であり、内容上、明らかに一審判決を支持するものであつた。
しかるに原判決は、自らの審理過程においてなされた黒沢鑑定を完全に、一言の理由も添えずに、無視し去つた。医学的な採証法則と経験法則に違背することは余りにも明白である。
(二) 新家鑑定の曲解
新家鑑定によれば、自覚的視力値の低下は本件第二事故後約三週間後の昭和五五年六月九日から見出されており、それは「器質的病変よりは極めて説明が困難」で、一般的に「交通事故後には、器質的病変よりは説明困難な、多彩な自覚的視機能に関する訴えがあるとされており、被控訴人(上告人)の一貫して訴える遠方視時矯正視力値の低下及び見えづらさは、被控訴人が過去に受けた計三回の交通事故と関連する可能性は否定できず、又その時間的経過より、特に本件第二事故がその一因となつた可能性は否定できない。」と述べられ、また「遠方視時の矯正視力の低下の訴え」は「本件第一及び第二交通事故と関連して、発生又は増悪したと考えられる。」という内容で、そこで説示されていることは交通事故との相当因果関係を肯定する内容である。
しかるに原判決は、これを曲解して、逆に否定的にのみ援用し、「心因性のものとしても……これと相当因果関係があるものとは認められない」と判示するが、これは新家鑑定の内容を曲げて逆用しているものである。
三 いうまでもなく二審裁判所が医学的な専門知識を補充して本件審理を行うため黒沢鑑定、新家鑑定の二鑑定を行つたものである以上、二鑑定は医学的な経験則として尊重されなければならない。もとより本件では他の鑑定は存在しないのであるから、特段の理由なくして、黒沢鑑定を無視、新家鑑定を曲げて逆用することは経験法則に反する違法がある、といわざるを得ない。
第二点 また原判決が事実認定において最大限に依拠したと認められる二審証人内山昭司証言には、別紙証明書のとおり本人自身が患者であつた上告人に対し認めた誤りを含むもので、再審事由(民事訴訟法第四二〇条一項七号)に該当する可能性をもつものであるからその点においても原判決は破棄を免れない。
一 二審証人内山昭司の上告人宛平成元年十二月二十六日付証明書(本上告理由書添付)によれば、同人の証言のうち左の三点が間違つていた、と自認されている。
(一) 甲第一七号証の一九枚目(診療録)を見ての問答のところで(速記録七丁)、特に「症状が増悪したことは認められない」という趣旨の問答をしたがそれは誤りであつた。同医師は現実には症状が同じ様な程度や多少の増悪があつても記載しなかつた場合もあり、従つて「歩行困難になつたとか、下肢の神経麻痺が起つたとかの特別な事情のない限り必ず記載するとは限りません。」というのが事情であつた。
(二) 速記録一四丁で、上告人が恰も事故前から沢山病気持ちであるかの如き問答かなされているが、これは先行交通事故以後のことであり、事故前には全く、「私の記憶違いであつた」。
(三) 速記録一九丁で、「この山本さん(註、一審証人山本福春同人は被上告人会社の業務部長)の奥さんというのがうちで看護婦していまして、そういう関係で知つておりますけれども」というのは被上告人会社の山本という運転手と「感違いして」いた、という。
二 また内山昭司医師のカルテの記載が不充分であり、治療も粗略であることは、すでに黒沢鑑定によつて明確に指摘されているところでもあるにもかかわらず、原判決は、すでに第一点で指摘したとおり黒沢鑑定について完全に沈黙し、間違いだらけの内山昭司証言を利用して著るしい事実誤認をおかしたものである。
第三点 更にまた原判決は経験則に違背しつゝ左のとおり著るしい事実誤認の違法を重ねており、それらはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから現判決は破棄されるべきである。
一 本件交通事故(一)についての事実誤認
(一) 原判決の理由二、2、(三)によれば、上告人は本件交通事故(一)の後、内山医師に診察を受けるさい、「同医師に対し特に症状についての訴えもせず、同医師のカルテにも格別の記載はなく、同医師はそのためレントゲン写真を撮つたことも治療内容に変更を加えたこともなかつた」というのは全くの事実誤認である。
すなわち、このさいは、内山証言によつてさえ「先生、またやられちやつた」「右腕をぶつた」「手が痛くてしようがない」などと述べていたというのであり(速記録一六丁)、軽重の形容句は別として、訴えはあつたものである。
また同医師のカルテは黒沢鑑定によれば「不充分」なもので、また内山医師自身の証明書によつても前記第二点一、(一)で述べたとおり、カルテ記載に脱漏があり得たことは明らかであるからカルテに格別の記載がないことに特段の意味はない。
加えて、内山医師の診療については黒沢鑑定で批判されているとおり、カルテ記載が不充分であるのみならず治療も内服薬と湿布だけの画一的で粗雑なものであり、その際レントゲンを撮らなかつたとしても、また治療内容に変更が加わらなかつたとしてもそれは医師の手落ちの存否問題であつて、事故受傷の軽重の問題ではない。
(三) また原判決の理由二、2、(五)によれば「被控訴人には以前から高血圧症の持病があり、日頃不定愁訴が多かつた」とあるが、これも完全な誤断である。
すなわち、内山医師の証明書によつても前記第二点一、(二)のとおり、この点に関する同人の証言は「記憶違いであつた」から、右判示部分は全くの虚偽架空なつくりごとである。上告人本人の別紙上申書(平成元年一二月一日付)によれば、同人は先行交通事故に会うまではまつたくの健康であつた。
なお、この点については二審内山証言の中でさえ、上告人について「反物か何かの商売をしていまして、車で方々動いていたというようなことを言つておりました。特に体が弱いということはないようでした」とも述べており、裁判所としての事実認定をするについては少しの注意で、こうした虚偽架空のつくりごとは避けられた筈である。
(三) 更に原判決の理由二、2、末尾の『被控訴人の眼に関する症状と本件交通事故(一)との間に相当因果関係の認められないことは後記のとおり(これは「後記」によれば、「この自覚的視力値の低下は、その発生の時期からみて」というだけのことのようである)』というのであるが、その誤りはすでに第一点二、(二)において指摘したとおり新家鑑定に反する誤断である。
(四) 更に加えて、右に引続く原判決の理由二、2、末尾において「歯に損傷を受けた旨の供述は、これを裏付ける的確な証拠がなく、にわかに措信できない」とあるが、
イ、単に上告人本人の一審供述が具体的で信用性に富むのみならず、
ロ、内山医院のカルテの中にさえも、患者の申告として「奥歯五本が痛み、その外二本を抜歯したがいまだに歯が痛い」(甲第一七号証の二六枚目)と記載されており、それなりの確かな証拠は存在する。
ハ、従つて原判決はこの点においても完全に誤つている。
二 本件交通事故(二)についての事実誤認
(一) 原判決の理由二、3によれば、本件交通事故(二)は「接触による衝撃が小さかつたため、被控訴人は右顔面を打撲したもののそれによる負傷は見受けられず」というのである。
しかし、これはまた「腫れ物にさわる」の諺にみられる経験則を無視した誤断である。
上告人は本件交通事故(二)で衝撃を受けたさい先行交通事故(二)による受傷のため治療中であつたものである。頸部痛は通常、外見上は見分けられない症状であることは公知の事実ないし、経験則であり、その症状を持続していて治療を受けている者が、また事故に遭つたのであるから症状が増悪もしくは加重されることは経験法則上、必然である。
(二) また「同医師に格別の訴えをしていない」というのも、前記第三点一、(一)と同様、いかにも、とつてつけたもののようであるが、これも事実誤認である。
すなわち、同医師のカルテは粗雑であり、訴えがあつても書き留められないこともしばしばあり、現に通院中のこととて格別に書き留められなかつたまでのことである(同医師の証明書)。
のみならず、同事故受傷のことが同医師申告されていることはその頃、殆んど毎日通院していたことからみても明らかである。
(三) なお原判決が、理由3において挙示する甲第一五、一六号証は、本件交通事故(二)が、被上告人会社の都合によつて警察に連絡することなく処理されてきたところ、甲第一五号証の日附によれば三年後の昭和五八年七月二三日に至つて保険会社に提出すべく作成された完全に便宜上の書類で事実認定の資料として容易に利用されるべきものではない。まして甲第一五号証は「自認者」欄の筆跡者は本文記載の筆跡と完全に異なつており、また甲第一六号証も作成日附もない。
加えて原判決がそこで最初に挙示する甲第一九号証は本件交通事故(二)とは直接に無関係なものである。
三、以上のとおり、原判決は完全に経験則を無視し、黒沢鑑定の無視と新家鑑定の曲解に基く恣意的な事実認定を行つたが、原判決が主として依拠した内山昭司証言は本人が自ら上告人宛の証明書で訂正しているとおり虚偽の部分が含まれているように、信用できないものであつた。
こうした経験則に違背する原判決の著るしい事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明白であるから破棄されなければならない。
第四点 なお本件上告理由書と一体のものとして左の書類を添付する。
一、内山昭司医師の平成元年一二月二六日付上告人宛の証明書。
二、上告人の平成元年一二月一日付上申書。
以上
証明書
私儀 東京高等裁判所、昭和六十一年(ネ) 第三〇九五号昭和六十二年(ネ)第二五〇号事件において、同裁判所から、昭和六十二年十月二十八日、出張尋問を受けて証言したさい、証言に記憶違いに基く間違いがありましたので左記の通り訂正の上証明いたします。
記
一、診療録(甲第一七号証の一九枚目)を見て発言のうち、一一月三〇日から一二月二一日まで記載がないとのことについて特に「症状が増悪したことは認められない」と言う趣旨の問答をしましたが、症状が同じ様な程度の場合や多少の増悪があつても記載しなかつた場合もあると思います。診療が多忙の為、患者さんが、申し述べてもカルテに、うつかり記載するのを忘れる場合もあります。従つて、歩行困難になつたとか、下肢の神経麻痺が起つたとかの特別な事情のない限り必ず記載するとは限りません。
二、尋問記録の一四枚目で「この人は沢山病気を持つている人ですね」「そうです」と答えていますが、これは五四年五月二三日初診の第一回事故から以後のカルテの病名の記載されている事に対してお答えしているものでして、第一回事故以前に特に私の所に受診した記録はありません。
但し、親族の方達は何人か見えており、割合に親族の方は病気勝ちでしたので、私の記憶違いであつた事を申し述べます。
三、西部タクシーの業務部長の山本福春氏の件についてですが「山本さんの奥さんというのがうちで看護婦していまして、そういう関係で知つておりますけれども」と発言しましたが西部タクシーの運転手に山本さんという人が居りまして、その人と感違いしておりましたので発言を訂正致し、取消します。
右のとおり相違ありませんので此の段、証明します。
平成元年十二月二十六日
浜松市幸五丁目七の一
内山昭司
野田つね子殿
上申書
控訴審における内山昭司証人(医師)の証言には事実関係につき明らかな誤りがありますので上申します。
一、私が病気を沢山持つている旨の証言部分は明らかに誤りです。私は昭和五四年に交通事故で受傷する以前は至つて健康で、昭和四九年頃に左足を犬に噛まれたさいに内山医師に診察を受けたことがありましたが、それ以外に医者にかかったことは内山さん以外でも一切ないからです。
二、また内山医師は「第二回目の事故」(本件第一事故)は「第一回目の事故」(先行交通事故)に「含まれてしまいますけれども、それは自然に治つたということで関係がない」というのも、いい加減と思います。真実は内山医師と被上告人会社事故係山本福春氏とが相談して処理されていたもので自分には「自然に治つた」とか「関係がない」とかという説明は全然ありませんでした。
三、また甲第一七号証の二六枚目について、患者が書いたもの、という内容の証言がありますが、当時自分は指も痛むため字を書ける状態ではありませんでした。人に書いてもらつたはずです。書いてくれた人は医院の関係者もしくは被上告人会社の山本福春氏であろうと思われます。
四、なお私は被害を受けその処理を被上告人にまかせてありましたが、どうしてこのようなことになつたのか甚だ心外でなりません。
平成元年一二月一日
静岡県浜松市小池町八三〇―一
野田つね子
最高裁判所 御中